木曽三川の河口に位置し、軟水と海水が混じり合う汽水域であることから、多くの良質な蛤が獲れた桑名や桑名に程近い富田では、江戸時代東海道沿いに蛤茶屋が軒を並べ、軒先で焼かれた焼き蛤に、多くの旅人が舌鼓を打ちました。その様子は十返舎一九の東海道中膝栗毛などにも描かれています。 江戸時代中期(元禄時代)になると、焼き蛤だけでなく、たまりで蛤を炊く煮蛤も、調理方法が工夫され、日持ちが良くなったことから、お土産として人気を博することになります。これが後の時雨蛤と呼ばれることになりますが、松尾芭蕉の高弟である各務支考(かがみ しこう)が名付けたと言われています。 以来、時雨蛤は現在に至るまで生産され続け、四日市市内では、今もなお数軒の事業者で生産が行われています。 なお、時雨蛤ではなく、志ぐれ蛤と言われることもあります。 |
167:貝新商店 アクセス数:11 |
168:貝義本舗 アクセス数:14 |
166:喜太八時雨本舗 アクセス数:7 |